嫌いが大きい方が、好きも大きい。
僕は昔から、自分がどういう人間かあまり分かりませんでした。
それは、小さい頃から「嫌われないようにすること」を1番に考えて生きてきたからです。
男3人兄弟の末っ子として生まれ、常に誰かの顔色を伺っていたのがきっかけではないかと捉えています。
いつも嫌われないように生きていた僕は、自分の好きよりも人の嫌いを優先するようになっていました。
誰かが機嫌を損ねることを恐れ、それを自分が我慢することで防げるなら、進んで我慢していました。
そしていつしか、自分の好きなものが分からなくなりました。
嫌いなものもないけれど、好きなものもない。そんな面白みのない人間ができあがっていました。
そんな人間がどうなるかと言うと、嫌われてもいないが好かれてもいないという「いてもいなくてもどちらでも良い人間」になります。
学校で、5人組を作るときは余らないけれど、4人組や3人組を作るときはいつも余っていました。
それからいくらか歳を重ねたある日、物凄く好き嫌いの激しい人に出会いました。
彼には嫌いな人がたくさんいましたが、その分、多くの人に嫌われてもいました。
しかし、大好きな人も何人かいて、その人たちからはとても愛されていたのです。
その人を見たときに、素直に「羨ましい」と感じました。
僕とは正反対の、彼の生き方に憧れたのです。
そのときに理解しました。
"好きと嫌いは比例する"と。
自分の好きが明確だからこそ、自分の嫌いもハッキリしているのだと。
その結果、嫌いな人に嫌われたとしても、自分の大好きな人たちから愛された方が幸せじゃないかと。
息子には、僕と同じ失敗をしてほしくないです。
なので、自分の好きなことや好きな人、好きなものを、躊躇いなく大好きだと言える人になってほしいです。
それが、嫌われないことなんかよりも、ずっと大切なことなんだと伝えたいです。
お読みいただきまして、ありがとうございました!