良い事は誰かのおかげ、悪い事は自分のせい。
何か嬉しいことがあったとき「これはあの人のおかげだなぁ」と考えられたら、感謝が生まれるし、その嬉しさはより大きく感じられる。
よくないことが起こったときに「自分がこうすれば変えられたかもしれない」と自分ごとで考えられたら、それは大切な経験となる。
これは、僕自身が生きる中で学んだ人生訓です。
スティーブン・R・コヴィーさんの名著"7つの習慣"にも書かれていますが、"主体的であること"はとても重要なことです。
自分のプライドや体裁を守るために、自分ではない誰かのせいにする。
それでは、自ら成長の機会を摘むことになり、失敗から学ぶことができなくなります。
1回1回は大したことがなかったとしても、5年後10年後には圧倒的な差となるでしょう。
ただこれは、何もかもを自分の責任にするということではありません。
世の中には悪意を持って行動する人がいます。
そんな人たちから被害を受けたときまで「私のせいで、、、」と考えてしまうと病んでしまいます。
その線引きができることも大事なポイントですね。
感謝と責任というのは、自分で人生をコントロールする上でも大切なことだと思います。
主体的に生きていきましょう!
お読みいただきまして、ありがとうございました!
思考を変えれば、言葉が変わる。言葉が変われば、行動が変わる。行動が変われば、習慣が変わる。習慣が変われば、性格が変わる。性格が変われば、運命が変わる。
思考を変えれば、言葉が変わる。
言葉が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、性格が変わる。
性格が変われば、運命が変わる。
いろいろな方が言っている有名な言葉ですね。
元々は、マザーテレサの
思考に気をつけなさい、
それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、
それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、
それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、
それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、
それはいつか運命になるから。
という言葉を引用しているそうです。
言霊とも言われるように、人が発する言葉には魂が宿ります。
そして、その言葉で勇気づけることもあれば傷つけることもあります。
しかも、1番影響を受けるのは自分です。
なにせ、自分の言葉を1番聞いているのは自分ですからね。
この一連の言葉の流れを要約すると、思考を変えれば運命が変わるということです。
そして、思考は自分でコントロールできます。
つまり、運命は自分でコントロールができるということになります。
あなたの運命は、あなたの思考で"決まってしまう"とも言えるし、あなたの思考で"決めることができる"とも言えます。
そこで重要になってくるのは、自分で決めるだけの知識を身につけることや、価値観を育てることだと思います。
本来、勉強とはそのためにするものかもしれないですね。
自分の人生の手綱は、自分でしっかりと握っておきましょう。
楽だからと、安易に人に手綱を渡さないように!
お読みいただきまして、ありがとうございました!
「大人になる」とは、自分と異なる存在を受け入れられるようになること。
人は、活動している時間の3分の2を"自分と似た人間を探すため"に使っているという話をご存知でしょうか。
何を言っているんだと思った方は、一度考えてみてください。
あなたの友人は、性格や行動があなたと似たタイプの人が多くはないですか?
趣味や嗜好が同じような人ばかりではないでしょうか?
もちろん、仲良くなる友人は共通項が多く、好きなものが同じの方が良いとは思いますが、問題は"そうではない人を排除していないか"というところです。
特に子どもの頃はそういった傾向が顕著で、排除するために攻撃するようなこともありますよね。
これを踏まえて、自分と異なる人との付き合い方を振り返ってみましょう。
攻撃まではしなくても「なんか相性が悪いんだよね」と、あまり関わらないようにしているという方は多いのではないでしょうか。
しかしそれでは、子どもの頃とあまり変わっていないと思いませんか?
いろんな人がいて当然で、自分とは違うタイプの人とも連携し協力することで、成長できるしより大きな成果が出せますよね。
何よりも、その方が幸せな生き方だと思います。
苦手な人や相性が悪い人を避けるのではなく、お互いを尊重し協力する。
友だちになる必要はありませんが、敵がいなくなるというのは、間違いなくストレスフリーでしょう。
ぜひ、自分と異なる人を拒絶するのではなく、受け入れられるだけの器の大きさと、優れたコミュニケーション能力を持ちましょう。
そうすれば、みんながあなたの味方です。
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弱きを助け理不尽に屈しない
"弱きを助け強きを挫く"という言葉があります。
意味は「弱い者を救い、横暴な者を懲らしめる」という任侠の気風を表す言葉だそうです。
男子たるものかくあるべしといった感じですが、今のご時世に"横暴な者を懲らしめる"のは、恐ろしいほどリスキーだというのが現実ではないでしょうか。
なので、この言葉を少しもじって「弱きを助け、理不尽に屈しない」という姿勢を大事にしたいと思います。
困っている人や弱っている人がいれば、声をかけたり自分にできる範囲で手を貸す。
そして、理不尽な要求をしたり意図的に攻撃してくるような人には、妥協せず毅然とした態度で接する。
こういう姿勢でいることは、自分や周りの人を幸せにするために大切なことだと考えます。
しかし、これを実践することは簡単ではないでしょう。
誰かを助けるにしても、中途半端な手助けはお節介になることもあります。
また、毅然とした態度で接するにしても、それができるだけの胆力や自分の意図を的確に表現する力が必要です。
相手ありきのことは、難しいことが多いですよね。
それでも、このマインドでいることで、きっと周りの人から頼りにされ、自分自身のことも好きでいられるのではないかと思います。
僕自身も、体現できるように精進していきます。
お読みいただきまして、ありがとうございました!
男前であれ。
カッコイイって主観的かつ抽象的な言葉ですが、とても大切なことだと思っています。
そして何かにつけて「イケメンに限る」と言われることも多いし、現実はそうだなと思うこともあります。
"何を言っているか"よりも"誰が言っているか"が重視されるのも世の常ですよね。
しかし、僕が息子に伝えたいのは、顔面が男前になりなさいという無茶を言いたいわけではないです。(息子の顔の責任は大いに親にありますし、、、)
そうではなくて、「中身が男前」になってほしいんです。
具体的には、
・子どもや年配の方に優しい
・見ず知らずの人に挨拶したり親切にできる
・さりげないレディファースト
などということです。
なぜ、そうなることを望むかというと、中身が男前な人は「人を大切にし、人から大切にされるから」です。
幸せな人生を送るためには、それがとても大事なことだと考えています。
人を騙したり裏切ったりして、瞬間的には幸せになったとか得をしたと思ったとしても、少し長いスパンで見たら、それは確実に不幸への片道切符です。
そんな切符を手にすることなく、周りの人に感謝し、周りの人から信頼される、そんな幸せな人生を歩んで行ってほしい。
そのためにも、中身が男前な素敵なメンズになってくれることを願っています。
お読みいただきまして、ありがとうございました!
嫌いが大きい方が、好きも大きい。
僕は昔から、自分がどういう人間かあまり分かりませんでした。
それは、小さい頃から「嫌われないようにすること」を1番に考えて生きてきたからです。
男3人兄弟の末っ子として生まれ、常に誰かの顔色を伺っていたのがきっかけではないかと捉えています。
いつも嫌われないように生きていた僕は、自分の好きよりも人の嫌いを優先するようになっていました。
誰かが機嫌を損ねることを恐れ、それを自分が我慢することで防げるなら、進んで我慢していました。
そしていつしか、自分の好きなものが分からなくなりました。
嫌いなものもないけれど、好きなものもない。そんな面白みのない人間ができあがっていました。
そんな人間がどうなるかと言うと、嫌われてもいないが好かれてもいないという「いてもいなくてもどちらでも良い人間」になります。
学校で、5人組を作るときは余らないけれど、4人組や3人組を作るときはいつも余っていました。
それからいくらか歳を重ねたある日、物凄く好き嫌いの激しい人に出会いました。
彼には嫌いな人がたくさんいましたが、その分、多くの人に嫌われてもいました。
しかし、大好きな人も何人かいて、その人たちからはとても愛されていたのです。
その人を見たときに、素直に「羨ましい」と感じました。
僕とは正反対の、彼の生き方に憧れたのです。
そのときに理解しました。
"好きと嫌いは比例する"と。
自分の好きが明確だからこそ、自分の嫌いもハッキリしているのだと。
その結果、嫌いな人に嫌われたとしても、自分の大好きな人たちから愛された方が幸せじゃないかと。
息子には、僕と同じ失敗をしてほしくないです。
なので、自分の好きなことや好きな人、好きなものを、躊躇いなく大好きだと言える人になってほしいです。
それが、嫌われないことなんかよりも、ずっと大切なことなんだと伝えたいです。
お読みいただきまして、ありがとうございました!
運が良いと決める。
あなたは、自分は運が良い方だと思っていますか?それとも悪い方だと思っていますか?
僕は、完全に運が良い方です。
なぜそう言えるか。それは自分で「僕は運が良い」と決めたからです。
ちょっと変な奴だと思いましたか?しかし、運の良し悪しは自分で決められる、というか自分にしか決められないという事実を伝えます。
たとえば、あなたが歩いていると、電信柱の工事をしていた人が手を滑らせたことにより、カナヅチが降ってきました。
「危なっ!カナヅチが降ってくるとか運が悪すぎる!」と思うか「カナヅチが降ってきたけど、何の怪我もなかったとは運が良い。」と思うか。
出来事は同じです。同じ出来事に対して、前者は自分は運が悪いという解釈をするため、運が悪いという情報を集めてしまいます。後者は反対に、自分は運が良いという情報を集めます。
これが続くとどうなるか。想像してみてください。運が悪いと思い続けている人と運が良いと思い続けている人、どちらに笑顔が多いか。どちらがより幸せを感じられるか。
どちらを選ぶかは、あなただけの権利です。
とはいえ「運が良いと決めたって嫌なことはあるよ」と思ったあなた。正解です。それもまた事実です。
ただし、運が良いと思っていればハッピーが増えるのも事実です。
それならば「自分は運が良い」と決めることをオススメします。
運が悪いと感じる出来事をハッピーに変換できる脳みそを手に入れたら、きっと毎日に笑顔と彩りが増えることでしょう。
お読みいただきまして、ありがとうございました!